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大阪家庭裁判所 昭和39年(家)2228号 審判

申立人 子安清子(仮名) 外七名

被相続人 亡子安トヨ(仮名)

主文

申立人子安清子に対し、被相続人亡子安トヨの相続財産である別紙相続財産目録記載の不動産、動産及び権利及びこれより生じた権利を分与する。

その余の申立人らの申立をそれぞれ却下する。

理由

当裁判所昭和三七年(家)第六一四六号相続財産管理人選任事件の記録中の除籍謄本、亡子安トヨ相続財産管理人子安良男作成の財産目録、各亡子安トヨ遺産管理計算書、各登記謄本、大阪市住吉区長及び同東住吉区長の各証明書、各賃貸借契約書、子安良男審問の結果、当裁判所昭和三八年(家)第三五九九号相続人申出の公告申立事件記録、本件各申立事件記録中の戸籍、除籍、改製原戸籍の各謄本、各申立人に対する各審問の結果、子安一郎、佐田三郎に対する各審問の結果、当裁判所昭和三九年(家)第三二〇三号事件記録中の当裁判所調査官稲留秀穂の各調査報告書、当裁判所昭和三九年(家)第二二二八号事件記録中の相続財産管理人子安良男作成の亡子安トヨ遺産管理計算書及び意見書、当裁判所昭和三九年(家)第三二〇八号事件記録中の野中みき子に対する審問の結果、その他本件調査の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

一、被相続人子安トヨは、亡子安久吉とその後妻亡タイの三男亡子安吉郎とその妻亡カツの長女として大正二年五月一三日に生れた者で、昭和九年二月二二日亡子安行男(婚姻前の氏は佐田)と婿養子縁組婚姻をした。子安トヨの父子安吉郎は、昭和一八年六月二七日死亡

し、養子の子安行男が家督相続をしたが、子安行男も昭和二〇年八月一九日に戦死した。しかし、その公報がおくれ、大阪府知事の公報により昭和三三年四月二日付で除籍された。子安行男と子安トヨとの間には子はなく、子安トヨの父にして子安行男の養父吉郎は、上記のとおり昭和一八年六月二七日死亡し、同養母にして子安トヨの母子安カツは、昭和一九年五月一一日死亡していたため、改正前の民法九八二条により親族会が家督相続人を選定すべき場合に該当するが、改正後の民法(昭和二二年法律第二二二号)附則第二五条第二項により上記相続関係については新法が適用され、被相続人亡子安行男の遺産をその妻子安トヨが単独で相続した。しかるに、子安トヨは、昭和三七年九月六日死亡したが、戸籍上直系卑属も尊属も兄弟姉妹もなく、その他に相続人があることが明らかでなかつた。そこで、亡子安トヨの従弟である子安一郎の二女子安清子は、子安トヨの事実上の養子であるとして、昭和三七年一二月七日当裁判所に亡子安トヨの相続財産管理人選任の申立をし(当庁昭和三七年(家)第六一四六事件)、当裁判所は、同月一九日その申立を相当と認め、亡子安トヨの従弟子安良男を上記相続財産管理人に選任し、同人は、同日上記管理人に就任した。当裁判所は、昭和三八年一月八日上記相続財産管理人を選任したことを官報に公告した。しかるに、上記公告後二力月以内に相続人があることが明らかにならなかつたので、上記管理人子安良男は、昭和三八年七月一五日に当裁判所に対し、相続債権者らに対する請求申出を同年四月一三日付官報に公告したが、なお相続人のあることが明らかでないことを理由として、相続人申出の公告の申立をし(当庁昭和三八年(家)第三五九九号事件)、当裁判所は、同年八月二三日付で上記相続財産に対し相続権を主張する者があるなら、昭和三九年三月二三日までに申し出ずべき旨公告したが、上記期間内になんらの申出がなかつた。本件申立人らは、いずれも上記期間満了後から三ヶ月内にそれぞれ本件相続財産の分与の申立をした。

二、別紙相続財産目録記載の相続財産中、一、(イ)、(1)ないし(3)の土地、(ロ)、(3)の建物は、亡子安トヨの父亡子安吉郎がその父亡子安久吉から分家別けとしてそれ以外の土地とともに贈与を受けたもの、同一、(イ)、(4)、(5)の土地は、上記子安吉郎が分家別けとして贈与を受けた他の土地を売却して買い換えたもので、上記のとおり子安吉郎の死亡により亡子安市男が昭和一八年六月二七日家督相続によりその所有権を取得し、昭和二〇年八月一九日同人の死亡により亡子安トヨが相続し、昭和三三年七月一四日その旨登記したものである。同目録一、(イ)、(6)の土地は、昭和三二年一二月九日売買により亡子安トヨがその所有権を取得し、昭和三三年一月一三日その旨登記を経由したものである。同目録一、(ロ)、(1)の建物は、亡子安トヨが申立人子安清子の父子安一郎から立て替えてもらつた金四九万〇、〇〇〇円と入居予定者らから得た保証金とにより建築したものであつて、現実に金を出していないため、後記のように事実上の養子となつていた申立人子安清子名儀にしてもよいといつていたが、結局亡子安トヨ名儀に家屋台帳に登載され、未登記のまま同人の所有となつていたものである。同目録一、(ロ)、(2)ないし(5)の建物中(3)の建物は、上記分家別けとして亡子安吉郎が贈与を受け、その他は、亡子安吉郎が建築し、いずれも未登記のままであつたものを、亡子安トヨが上記のような相続により所有権を取得し、昭和三三年七月一四日保存登記を経たもの、同目録一、(ロ)、(6)、(7)の建物は、亡子安トヨが上記子安一郎から手附金二七万〇、〇〇〇円を出してもらいその余は入居予定者らからの保証金及び内四戸の売却代金とによつて建てたもので、亡子安トヨ名儀に土地台帳に登載されているか、未だ保存登記を経ていないもの、同目録一、(ロ)、(8)の建物は、亡子安トヨが昭和三四年九月二日売買により所有権を取得し、同年九月四日その旨移転登記を経たもの、同目録一、(ロ)、(9)の建物は、亡子安吉郎が建築したもので、亡子安トヨが上記のとおりの相続により所有権を取得し、昭和三三年七月一四日その旨登記を経たものである。別紙相続財産目録二の各株券は、その一部分は、亡子安吉郎が買い受けたものを亡子安トヨが上記のような相続により取得したもので、他の大部分は、亡子安トヨが上記不動産等よりの収益により買い受けたもの及び同人死亡後増資により相続財産管理人子安良男が相続財産よりの収益金を払い込み取得したもので、いずれも亡子安トヨの相続財産に属するものである。同目録三の預金及び四の家財道具もまた本件相続財産に属するものである。同目録五の預金は、本件相続財産から生じた収益金等を相続財産管理人が預金したもので、いずれも相続財産に属し、同目録六の現金は、本件相続財産から生じたもので、相続財産に属する。

三、申立人子安清子は、亡子安久吉とその後妻亡タイとの間の二男子安治男の長男子安一郎とその妻久子との間の二女として昭和二〇年三月三一日出生した者である。亡子安トヨの夫亡子安行男は、昭和一九年応召し、同年九月海外に出征したまま消息不明で、上記のように昭和二〇年八月一九日戦死した者であるが、亡子安トヨと昭和九年二月二二日婿養子縁組婚姻をしたのに、上記出征当時までに両名間に子がなく、当時の戦局からみて生還を期し難いと考え、当時上記子安一郎に対し、その妻久子が申立人子安清子を妊娠中であつたので、生れたら養子にくれないかといい、子安一郎や久子もこれに同意し、亡子安トヨもそうすることに異存はなかつた。申立人子安清子は、幼時隣家の亡子安トヨ方にしばしば行き、亡子安トヨに事実上の養子として可愛がられ、学校に行くようになつてからは父母の許から通学していたが、上記関係は変らず、亡子安トヨは、昭和二八年二月一〇日自己を被保険者、子安清子を保険金受取人として保険金額五万〇、〇〇〇円の簡易保険契約をし、昭和三四年三月二日日本生命保険相互会社と自己を被保険者とし、子安清子を保険金受取人として保険金額二〇万〇、〇〇〇円の生命保険契約を締結し、自己の死後の申立人子安清子に対する配慮をしていたのである。昭和三三年四月亡子安行男の戦死の公報があり、同人が生還しないことが確定した後、亡子安トヨは、亡子安行男の実兄佐田三郎、子安一郎と相談し、申立人子安清子を養子とし、亡子安行男の実家の親戚中から将来申立人子安清子の夫となるべき者を選んで婚姻させ、亡子安トヨの亡きあとを継がせようとの話合が確定的に定められた。亡子安トヨは、その後も一人で大阪市住吉区○○西○丁目○○番地に居住していたが、申立人子安清子の父子安一郎は、その隣家に申立人子安清子は勿論その他の家族とともに居住し、亡子安トヨの財産の管理その他につき相談を受けるとともに、上記のように亡子安トヨが貸家を新築する際には、その相談に乗つたり、資金を出してやつたりして、何かと援助していた。子安一郎がこのようにしてやつたのは、亡子安トヨの従弟であり、近隣に居たためばかりでなく、その二女の申立人子安清子が亡子安トヨの養子となることに決定しており、事実上の養子であつたからである。亡子安トヨは、過去において肺浸潤を患つたことがあり、貧血症、腰痛症に加えて高血圧症になやまされ、これらの病状診断を受けるために昭和三七年七月一三日大阪府立病院に入院して診断を受けたところ、軽度の硬化性肺浸潤、胃炎を認められ、再生不良性貧血の疑があり、血圧は、一八〇~一二〇であつた。各種治療の結果、血圧は、同年七月二〇日頃より一六〇~九〇に下降し、腰痛は軽快を示したが、八月二九日の検血では貧血の改善は殆んど認められなかつた。退院時の病状からは同年九月四日の退院二日後に死亡するような病状ではなかつた。申立人子安清子の母久子は、亡子安トヨの入院中は毎日のように上記病院に見舞に行き、子安一郎も六、七回見舞に行つている。昭和三七年八月一〇日頃子安一郎が亡子安トヨを病院に見舞に行くと、同女は、自分の財産関係の書類等を住友信託の貸金庫に保管しているが、住友信託は当時工事中であり、上記保管物の中には畑中某のものもあり心配であるから見て来てくれと依頼されたので、子安一郎は、同女から印鑑を預り住友信託に行つたが、出してもらえなかつたので、帰つてその旨を告げ、印鑑は預つておくといつたところ、同女は何ともいわなかつた。子安一郎は、上記印鑑をそのまま預り、同女の退院後同女に返還した。亡子安トヨは子安一郎に印鑑を任意預けたのに、後になり、病気中であつたためもあつて、子安一郎に自分の財産をどうにかされないかと心配して気にやんでいたことはあるが、申立人子安清子を養子とすることを解消する意思を表示したことはなかつた。同年八月一五日頃亡子安トヨは、子安一郎に対し、もう大分よくなつたし、何時まで入院していても同じだから退院して申立人子安清子と一緒に住みたい。そのために自宅の離れの畳替と壁の塗替とをしてくれと依頼し、子安一郎は、これを承諾し、畳替をするとともに二回も離れの壁の塗替をして退院の準備をし、主治医に退院の申出をしたが、子安トヨの貧血の改善がみられなかつたので、病院では退院を許可しなかつたが、昭和三七年九月四日亡子安トヨ本人からの退院の申出があつたので、病院では入院中の病状経過、検査成績及び治療方針記載の紹介状を退院後の開業主治医あてに発行し、これを渡して退院を許可した。子安一郎は、退院の知らせを受けて迎えに行き子安トヨの退院を手伝い、同女は退院して自宅にかえり、従前からの開業主治医の治療を受けたが、二日後の同月六日心臓麻痺のために急死した。子安一郎は、上記佐田三郎らと相談の上、亡子安トヨの葬儀の喪主を事実上の養子である申立人子安清子とすることとし、近親者も申立人子安清子が喪主となることに反対する者はなく、同女が喪主となり、葬式費用を子安一郎が一時立て替えて、同年九月七日亡子安トヨの葬式が行われ、申立人子安清子の喪主名儀で会葬者に対する礼状を出し、同年一〇月二三日中陰流志の品と挨拶状とを親族その他に送つた。亡子安トヨの近親者の大部分は、申立人子安清子が亡子安トヨの事実上の相続人となり、同女の霊を祭ることに異議を述べる者はいないが、上記近親者中の一部には、申立人子安清子の父子安一郎が佐田三郎以外の近親者と相談することなく、独断的行為があるとして反感を抱いている者があるのみである。

四、申立人子安サキは、亡子安トヨの祖父亡子安久吉とその先妻亡うたの長男亡子安松男の三女であつて、昭和九年三月二八日子安守男と婿養子縁組婚姻をした者、申立人本田クミコは、上記子安松男の四女で、昭和二一年九月三日本田俊男と婚姻した者、申立人内田道男は、上記子安久吉とその先妻亡うたの長女トミと亡内田竹治の四男である者、申立人子安梅吉は、上記子安久吉とその後妻亡タイの六男で亡子安トヨの女学校時代時々勉強をみてやつたことがあり、上記トヨの成人後は株券の購入につき時々相談を受けていた者、申立人子安スミコは、亡倉田作男とその妻シズの三女で上記子安久吉と亡タイの五男亡子安二郎と大正七年一二月二四日婚姻した者、申立人野村イツは、亡子安トヨの亡母カツの姉大野ヤエの長男大野儀三と婚姻し、亡子安トヨの生前親しく交際していた者、申立人石田利一は、亡子安トヨの亡母カツの兄亡田中平次とその妻タマの長男である。上記各申立人らは、亡子安トヨと上記のとおりの各親族関係にあり、亡子安トヨの入院中一回ないし数回見舞にいつただけで平常は普通の親戚づきあい程度の交際をしていたにすぎず、亡子安トヨの庇護や生活の援助を受けたこともない。もちろん、上記各申立人は、亡子安トヨと生計を同じくしていたことも同女の療養看護に努めたこともない。

民法第九五八条の三にいわゆる被相続人と特別の縁故があつた者とは、単に被相続人と生計を同じくしていた者や療養看護に努めた者に準ずる地位にある者とか、被相続人とその庇護のもとに生活をしていた者、または事実上の養子であつた者とかを指称し、伯叔父母その他の親族であつても単に親族としての通常の交際(病気の際見舞に行く位のことは通常の交際にすぎない。)をしていたにすぎない者は、同条の三にいわゆる被相続人と特別の縁故があつた者に該当しないものと解するのを相当とする。上記認定の事実から考えると、申立人子安清子を除くその余の各申立人は、亡子安トヨと上記認定の親族関係があるにすぎず、民法第九五八条の三にいわゆる被相続人と生計を同じくしていた者、被相続人の療養看護に努めた者、その他被相続人亡子安トヨと特別の縁故があつた者ということのできないことが明らかであるから、同申立人らに本件相続財産を分与することはできない。従つて、申立人子安清子を除く上記各申立人らの本件申立をいずれも却下することとする。

上記認定の事実によれば、申立人子安清子は、民法第九五八条の三にいわゆる被相続人と特別の縁故があつた者と認められ、かつ上記認定の申立人子安清子と亡子安トヨとの身分関係及び両者が事実上の養親子関係にあつたことならびに上記認定の諸事情を併せ考えると、申立人子安清子に被相続人亡子安トヨの相続財産である別紙相続財産目録記載の財産全部を分与するのを相当と認める。

よつて、主文のとおり審判することとするが、申立人子安清子は、亡子安トヨの法律上当然の相続人として同人の遺産を相続するのではなく、亡子安トヨが営々として管理増殖して維持して来た財産を恩恵により分与されるのであるから、故人の恩に感謝し、亡子安トヨの霊を祭ることを怠らず、相続財産を浪費することなく、故人の意思を付度してその近親者に故人の恩恵を分ち、円満なる親族間の交際を続けるように努力し、もつて、故人の霊を安からしめるようにつとめることを切望する。

(家事審判官 岡野幸之助)

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